君の好きな人は誰?


【好きな人】

ただ深い泉のソコのように、黙ったきりで
たまに、波が立つように呼吸をして
この世界に、二人以外の存在がまるで消え失せてしまったかのよう。
赤澤が、ゆっくりと唇を開いた。
湿った唾液の音が聞こえる。舌と口内が離れてゆく音。これから、音を生み出す唇の音だと観月は考えた。

「観月」
その唇は、観月の名前を呼んだ。
こんなに近くにいるのだから、名前なんて呼ばなくても…と観月は思ったのだが、言わない。
「はい?」
赤澤の方を見ないで答える。
赤澤も、観月を見ないで言った。大人が言うほど目を合わせて話す事を、大事だと思わなかった。
「好きな奴いる?」
上手く発音が出来たのか解らなかった。観月の表情も赤澤にはわからない。
観月も、赤澤の表情はわからなかった。
「……」
無言のまま、観月はプレハブ小屋の、何故か足蹴にされた跡の大量に着く扉を見ていた。
今此処で、ナ二もいわずに出て行ったなら赤澤はどうするのだろう、と考えると可笑しい。
「なぁ、いる?」
しびれをきらした赤澤が、重ねて聞いた。
「いますよ」
観月は、しれっとして赤澤の顔を見た。横顔だったけれど、見た。
睫毛が長い、睫毛は男性モルモンで出来ているらしいと誰かが言っていたな、野村だっただろうかと思う。
「そか。誰?」
赤澤はまだ観月をみないで、そう言った。観月ももう赤澤を見ていなかった。今は床のコンクリートを見ている。
「ヒミツ」
小さく言った声は、なんだか可愛いと赤澤は思った。口に出したら怒られるんだろう。
「ふぅん」
なんと答えていいのかわからずに、取り敢えず赤澤は相槌をうった。
しかし、観月の返答は赤澤の予想範囲内…むしろ予想通りであったため、逆に反応が浮かばなかったのだ。
また、黙っていると観月が呟く。
「あなたは?」
今度は予想範囲を超えた質問で赤澤は答えるのが遅れる。
「え?」
どちらにせよ、観月との会話は反応が遅れるということに赤澤は気がついた。
緑色のカバァが外れかけている、部室のイメージと全く合わない――観月が勝手に買ってきた――椅子に座りなおして赤澤はは聞いた。
「貴方は、好きな人いる?」
観月にはあってるんだけど、と赤澤は思う。そもそも観月がテニスと言うイメージではないのだ、絶対に。
赤澤は、いつもどこか冷めた目で自分を見る、と観月は感じていた。他の誰を見るよりも、冷たくみる。
それは、観月の欺瞞だろうか。
「いるよ。」
赤澤が言う。
遠くから聞こえるのは金属バットの音。
野球部はまだ練習しているのか、と観月は不思議に思った。定期テスト一週間前なのに。
「誰ですか?」
赤澤が椅子に座っているのをみて、その椅子は、僕のなのに…と思ったが言わずに観月はそう聞いた。
「ヒミツ」
観月のまねをして、赤澤がそう言うがまったく似ていなくて観月は笑う。
ははっと少年の声で。

君は誰が好き?

___ヒミツ。



FIN
赤澤は観月が好きで
観月は赤澤が好きで