あの子が泣いてるよ。
あの子の願いがかなうころ、私は。私は。
触れたら溶けてしまうだろうか。
[誰かの願いがかなうころ]
彼の右肩はいつでも鉄の味がする。
まるで血液をそのまま舌につけているようで、まるで彼の中身を舐めているようで。
愛しいと思う。
「…あっそ。」
ロイの言葉をエドワードはその一言で片付け目の前の活字を追う事にした。
その蔵書は、つい先日までロイの部屋に私物も当然に置いてあったものだ。
それはエドワードが探していた書物の一つだったようで、彼の家を散々探して今こうしてロイの執務室で読んでいるのだ。
エドワードとロイはちょうど向かい合うように客用のソファに腰を掛けていた。ロイが座るための椅子と机には期限が迫った書類が積まれている。
剥き出しの右腕でエドワードはページを捲る。鈍い光を放つその腕のフォルムは女性の裸体像のようだと思った。
(あれはたしか)
(…ミロのヴィーナス?)
両腕を失った女神の名前を、ロイは口内で反芻した。何故彼女が思い出されるのか。
ページを捲る音がロイの執務室に響く。
(美しい。)
鍛えられた左腕と、無機質な右腕のコントラストが煽情的に漆黒の瞳に映された。
ロイの視線も気付かずに活字を読みふける少年にロイは口元だけで笑った。
「私はね、鋼の。」
それは呼びかけではなく、エドワードに聴覚が音を認識していない事への確認。
「美しい物がすきなんだよ。」
なんでもね。
常にロイは、まるで赤子をあやすように少年にキスをした。執拗に左腕にだけ。
しかしそれはどの範囲の愛情の証なのかロイには解らなかった、もちろんエドワードにも。
ただただ、唇に触れた温度を忘れられないのだ。
「だけど、きみはまだ…いや、教えないでおこう。まだ。」
そう言いながらロイは立ち上がった。
足を踏み出した振動でもエドワードは気付かない。つまらない、とロイは少年の顎を無理に持ち上げた。
「キスをしてあげよう鋼の。」
やっとロイに気がついたようにエドワードはその蒼い目にロイの姿を映した。
軽くため息をついたエドワードにロイは口の端を上げた。予想通りのリアクションだ。
「いらん。」
エドワードのすぐ横に腰を掛けて
「遠慮は無用だ。」
とまた笑う。
ふふふと左腕に口をつけると鉄の味とオイルの匂いが鼻をつく。
「大人って人の話し聞かねぇよな。」
温度が無いキスを降らせるロイにエドワードはそんな文句を言う。
その台詞すらロイは笑顔だけで制し、もう一度唇で触れる。舌で舐め上げる。
「いっつも左腕だよね。」
「不満かい?」
「いや、金属フェチなのかと。」
「君が大人になったら、それなりのキスをしてあげよう。」
金属の輪郭を人差し指でなぞってロイはもう言った。片腕を失った少年はいつか願いをかなえるのだろう。
それはひどく魅力的な。
鉄の味は血液の味と同じにロイを誘惑するのだろうか。わからない。
「それまでは……ね。」
しかし
(彼女が美しいのは)
(両腕を失っているから。)
ロイはエドワードの左腕から肌色のそれが生えていたころを想像すらできなかった。
(美しい。)
「エド。」
名前を呼んで彼の瞳を覗き込む。いつかロイが焔が点いた目だと称した瞳にロイの姿が映る。
「泣くんじゃないぞ。」
「だーれが。」
(いつか彼が)
誰かの願いがかなうころあの子が泣いてるよ。
FIN
あ、ミロのヴィーナスって裸体じゃなかった(笑
あの子=エド。誰か=ロイ。
解りにくいなぁ。