【優しいキスをして。】



息を切らしてはしっていたら、つめ先まで冷たくなっていた。
リザは、乱れた呼吸を整えようと息を吸う。キンとする冬の温度が肺を支配して、気持ちがいい。
身体が火照っている。自宅からもう3キロは走った。
息を切らした姿では、会いたくなかった。
そんな事をしても。
(喜ばせるだけだわ。)
到底、実際年齢には見られない童顔の上官を思い浮かべ、リザが忌々しそうにため息をついた。
水蒸気が空気に触れ白く変わる。
それは、まるで彼の操る錬金術だ。
(私には、よくわからない世界。)
等価交換だとか、無だとか全だとか。
錬金術とはリザの中では不可解な記号ばかりが飛び交う学問で。その中で彼は飛びぬけて優秀なのだという。リザも、そう思う。
けれど、それでも。
(頭がいいからって、人間が出来ているとは限らない。)
少なくとも、人間が出来ている男は夜中の2時に部下を呼びつけるだろうか。
それは反語。
彼は解っていてやっているのだ。
リザが電話に出ることも。
   呼び出しに応じることも。
   コートも持たずに駆けて来る事も。
知っていて、ダイヤルを回すのだ。
(馬鹿みたい。)
慌てて出てきた為に、潰してしまった靴の踵を、人差し指で直す。
そして、もう一度深呼吸をした。冷たい指に息を吹きかけて、また走り出す。
今度はゆっくりと、息があがらないように。

深い緑色で出来た扉は、塗装が所々はがれていて、建物の年代を表していた。
ノックをすると、のんびりと扉が開かれる。その音は動作とは逆に近所迷惑な物だった。
「大佐…っ」
思いつく限りの文句をいってしまおうか、と口を開くが、それは浅はかな女の嫉妬のようにも感じられリザを口をつぐんだ。
「ん?何だい?」
にっこりとロイが笑った。それは、まるで純粋な子供のようで(詐欺だ)とリザは思った。
「ホットミルクが飲みたいんだ。」
ロイのその言葉を聞く前に、リザは室内に入った。暖房もろくにつけていない部屋にため息をつく、道理で毛布を身体に巻いているわけだ。
「大佐、ストーブつけますよ?」
蓑虫のように毛布にくるまったロイは、意地悪そうにこう言った。
「炭がないよ。」
言われてみれば、部屋と同じに古めかしいストーブには炭が入っていない。それに加え、埃が溜まっている。
今年に入ってから使っていないのだろう。
リザは短くため息をつく。これだから男の人は…と。
「ホットミルクですね。」
「ああ、頼むよ。」
寝付けなくってね。そう誤魔化すように付け足された言葉に、リザは舌打ちをする。
(ああ、やはり馬鹿な人だ。)
巧く笑えないのに、笑うのは自分への配慮か、只の強がりか。
しかし、この上官が配慮、等と甘い言葉を自分を含め直属の部下に与えるわけがないことをリザは身をもって知っているので、やはり強がりね、と確認する。
これだから男の人は…と。
「走ってきたのかね?」
不意に、ロイはそう聞いた。特に意図はない質問に聞こえたが真意は解らない。
「え…?」
咄嗟に頷くことも、否定することも出来ずに、リザは冷蔵庫を開けたままで黙る。どちらといえば満足なのだろうか。
「私の為に、走ってきた?」
「上官命令ですから。」
そっけなく、リザは答える。ははっと短くロイが笑ったのが背中に聞こえた。さっさとホットミルクを仕上げてしまおう。
キッチンの限界に挑戦するように高く積み上げられた食器類を見て、大きくため息をつく。
彼が片付けが苦手なのは、日頃仕事をしているディスクを見ても明らかなのだが。
(普通、ここまで放って置く?)
洗ってしまおうかと考えるが、時間が時間だったので諦めた。
牛乳――ある少年に言わせれば、牛から分泌された白濁色の液体――をリザは、鉄製の鍋に注いだ。
鍋を火にかけると、リザはロイの方を振り向いた。バレッタで留めていない金の髪が揺れる。
髪を止めていなかったのか、とリザは今ごろになって気がついた。恥ずかしい。
(急いできたの、ばればれじゃない。)
「お砂糖は?」
砂糖の入った瓶を探しながらリザが聞く。
「二杯。」
そう答えるロイに、そうじゃなくて場所です。と注意した。
ああ、場所ね。何処だったかな…とロイも動き出した。
至る所に書物が放り出してある部屋に、砂糖などあるのだろうか、リザは不審に思う。そもそも何故、キッチンにまで本が置いてあるのか疑問に思ったが口には出さない。
やっと、砂糖の瓶を掘り出したロイは自慢げにリザに差し出す。ああ、二杯じゃなくて三杯がいいなと言いながら。
「太りますよ。」
軍人にしてはふくよかな方に入るロイを見遣って、リザが忠告した。それをさして気にもせずにロイはソファに座る。ドサドサ...とソファに詰まれていた本が落ちた。
温めたミルクを、これまた掘り出したカップに注ぐ。
いつか、ハボック少尉を連れてこの部屋を一掃しようと、リザは心に決めた。本の量が半端ではない、下手な書店よりもありそうだ。
錬金術師は皆そうなのだろうか、と同じように本に夢中になっていた隻腕の少年を思い出してリザは雪崩を起こした本を一冊手にとった。
本棚に戻そうとするが、本棚は既に一杯で新しい本を入れるスペースなどはない。
ロイは呑気にホットミルクを啜り「うん、今度からは中尉に頼もう。」と満足げだ。
(今度から。)
では、今までは誰が作っていたのか。疑問に思ったが、聞かなかった。おそらく見た事もない女性かもしくは。
若しくは、
考えるのが馬鹿らしくなって、リザは散らばっている紙類を集め始めた。記号や、暗号と化した文章に目を顰める。
何度も書き加えられ、塗り潰されて、それでも捨てられることなく其処にある紙片。
the human is train.と書かれた練成陣。
(…人体 練成?)リザは深くため息をついた。これだから男の人は…とまた思う。
同じような記号が掛かれている紙を何枚か持ち上げた。
「大佐。」
名前を呼ぶことが予め解っていたかのようにロイが笑う。
「何だい」
ゆっくりとロイはリザをみる、試すような瞳。それと、少しだけ脅えたような瞳で。それはリザの考えすぎだろうか。
「これ、捨てさせていただきます。」
そう聞くと、ロイはミルクをもう一口啜った。
リザが何を持っているのか、確認をしなくても知っている、という風だ。
「ああ……頼むよ。」
笑いながら言うロイの顔を見て、リザは自分がココに呼ばれた理由が改めて解った気がした。
(自分じゃ、捨てられないからって。)
まとめて、リザはその紙を自分のカバンに詰めた。燃やしてしまおう、と思う。本当は、彼の火で燃やしてしまえばいいのだが。
甘えてるのだ。おそらく。
リザは夜中に電話をかけられても、
   本だらけの部屋に呼び出されても、
   いきなりホットミルクを作れといわれても、
   禁忌の術を記した紙切れを見せられても、
彼を見放すわけには行かなかった。見放すわけはなかった。
(大佐を、よろしくって。)
(言われたから。)
誰に、とは敢えてリザは考えないようにした。
歩く邪魔になる本や、脱ぎ散らかしたままの衣服を摘み上げ、部屋の隅に重ねてゆく。それだけで少しは床の見える面積が増えた。
ストーブを使っていなかった理由は、散らかっているもの達が燃えてしまうからに違いない。片付ければ、早い話なのに。
ロイの飲み終わったカップを無言で受け取り、またキッチンへと向かった。背中を向けたままのリザを呼ぶ。
「ああ、中尉。」
「なんですか?」
やはり背中を向けたままリザが答えた。
「眠れないんだ。」
その言葉は、部屋の扉を開けた早々に言われた響きと似ている。ロイの声は拗ねた子供にも聞こえ、自分は少し黙りすぎていただろうかと考えた。
「それで。」
けれども、そっけなくリザはカップを水に浸した。甘やかさない、と決めたのだ。本人は、甘えてきているのだけれども。
「それで、少しは上官の不眠を解消してくれないかね。」
言いようは、上官が部下に命令するかのごとく…否、まさにそれだった。
リザは、ロイにばれないように小さくため息をつき
「具体的にはどのような。」
と尋ねる。
そうだね…とロイは笑う。にやり、と意地の悪い笑みだとリザは思った。くだらないことを考えてるの違いないと。
「キスをしてくれるとか。」
ほらやっぱり。今度はわかるようにため息をついた。
「お戯れをおっしゃらないで、さっさとお布団に入ってください。」
(キスなんて、冗談じゃない。)
オーロラ姫はキスをしたら目覚めてしまうでしょう?と軍服が脱いだ形のままになっているベットを指差し、リザはロイを促した。
不満そうにロイは肩をすくめている。
「つれないね。」
ロイの言葉にリザは咄嗟に返した。
「身代わりなんて、ごめんですから。」
誰の、とは言わずに。
(縋るような目で、みないで。)
ロイの漆黒の瞳が大きく開かれた。意外な言葉だったのだろうか。
自分の言葉は不適当な物だったろうか、とリザは考えひとまず「申し訳ございません。」と詫びる。
しかし、ロイは面白そうに顎に指を滑らせた。
「ふむ。それも一理ある。」
瞳を伏せて笑う。泣いているのかと、一瞬。
あまりにも綺麗に笑うロイが、泣いているのかと思いリザは軽く頭(かぶり)を振った。
そして、できるだけロイの目に美しく映るように笑った。
「……ここに、いますから。」
自分の吐く息が白いのが解る。この部屋がまだ外と同じほどに冷たいのだとリザに教える。
「ああ。」
目を伏せたロイが、寄りかかるのをリザは黙って見ていた。右腕にある温もりが、愛しいと思えるのは黙っておこう。




あなたが眠るまで。




::FIn::
あ、なんかムリヤリ終わらせた感バリバリのSSですな。
ヒュ←ロイリザ。
人体練成、果てしなく造語(笑)
違うと思うけど、気にしない気にしない。
「若しくは」の続きは、ヒューズさんにいれて貰ってたとでも思ってください。
人体練成は、もちろんヒューズさんについてです。
ロイさん弱弱(笑)
ていうか正確にはエドは隻腕の少年じゃなくて義腕義賊の少年な気もするけど…。
なんか隻腕ってひびきいーじゃんか。
っていうか、キスしてないじゃん!!